生まれながらにして虎という感想は我ながら意味わからん― 「山月記」

ときに、皆さんは「山月記」という小説を覚えているでしょうか。
中島敦の代表作で、臆病な自尊心と尊大な羞恥心のあいだで苦しみ、最終的に虎になってしまう男・李徴の話です。

高校2年の頃、国語の授業で読んだときは「官吏であり、家族にも恵まれているのに十分ではないか。こちとら生まれながらにして虎なんだぞ。」くらいに卑屈な感想を持っていました(?)。
官吏(いまで言う公務員)を辞めて詩人を目指した男の話なのですが、最近の自分に置き換えてふと思い出してしまいます。


李徴という男、そして私

李徴は、まじめでプライドが高くて、頭もよくて、でも不器用な男です。
官僚として働きながら、「自分はもっと大きなことができるはずだ」と信じて詩の道に進みます。
結果、世間とうまく折り合えず、遁世して山にこもって虎になってしまう。

この構図、私の今後の人生ルートのうちの一つかもしれません(✞BAD END✞)。
16年ほど国税に勤めていましたが、「このまま国税職員として一生を終えるのかな」、「詩人税理士として自分の名前でやってみたい」と思い、退職しました。

ここまでは仕事を辞めて理想を追いかけたという点で。李徴に似てます。
…唐の時代の官史と今の国税の職場を一緒にすんなと怒られが発生しそうではありますが。
彼が詩人なら、私は税理士。
方向は違えど、どちらも“ちょっと夢を見た人間”です(一緒にすんな)。


虎にならないために

李徴と同じように山にこもってしまわないよう、気をつけています。
独立すると、人との関わりを自分で選べてしまうんですよね。
気づくと「自分のやり方が一番正しい」と思い始めて、外の声を聞かなくなる。
そうやって、少しずつ虎になっていく。

「孤高」と「孤立」は紙一重だと思います。
誰とも比べず、誰の意見も聞かないでいると、気づけば牙が生えてしまう(?)。
士業の世界は、特にそういう危険がある気がします。

私も気を抜くと、誤った方向に進んでしまうことがあるかもしれません。
だからこそ、なるべく人と会って話したり、こうしてブログを書いて自分の考えを整理したりして、
人間でいる時間を確保するようにしています。


日々の戒めとして

李徴は、最期に友人の前に現れてこう言います。
「己の臆病な自尊心と、尊大な羞恥心のために、ついに取り返しのつかぬことをした」と。

気をつけたいですね。
私も、いつか気づいたらSNSで「国税に居たら今頃俺は署長だった…(ブツブツ」とか唸っていないように。
自分の世界に閉じこもらず、なるべく笑いながら生きていきたいと思います。

税理士業も、仕事の幅も、世の中との関わりも、ぜんぶ自分で決められるからこそ、虎にならぬように、優しくて上機嫌な人間でいたいものです。